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昨日の夜、新任の先生が到着されたので、今日は学校周辺を案内しました。 私が西安へ来て、丸一年が経ちました。 一年前の赴任前を思い出すと・・・ 授業の担当学年がわからない。 寮の部屋に何があるのかわからない。 日本で就労ビザを申請するための書類(招聘状)がギリギリになっても届かない。 渡航日を連絡しても返事がない。 渡航日や渡航費に関して質問しても答えがないので、航空チケットを買っていいのかどうかわからない。 とりあえず来た・・・という感じです。 しかも、到着後一週間以上、学校関係者と会うことができませんでした(汗) 日本の大学との提携赴任なら前任の先生から情報もあるけれど、私の場合は個人紹介での赴任だったので、すべてが「??」の状態。 今思えば・・・勢いがあったなぁと思います。 勢い、無我夢中さ、初心・・・ 二年目でも、それは持ち続けたい。仕事も生活も常に毎日が発見でありたい。そういう目を持ちたい。 新任の先生を案内して、感じたことです。
昨日(8月23日)、西安に到着しました。 一時帰国の時のような、飛行機トラブルもなく、実にスムーズでした♪ 関西空港→北京の機内にて、客室乗務員にことごとく中国語で話しかけられる。 斜め前と斜め後の日本人には「お飲み物は?」「牛肉?魚?」と日本語対応だとういうのに(涙)
寮に着いて階段を上り、ドアを開けると・・・床が見事に真っ白。 階段の壁の塗り直しをしたようで、そのペンキの粉が全部部屋に入って来ています。
水道の蛇口をひねると・・・出てきた水は、茶色を通り越して、黒。 お腹に入れたら一発でアウトだと思います。
ふとお風呂の天井を見上げると・・・ピカピカの天井。 何の前触れもなく、天井がはりかえられたようです。
テレビをつけると・・・海外の番組が全て見られなくなっている。 原因は不明ですが、NHKが見られないのは悲しいです。
電話をかけてみると・・・案の定繋がらない。 「電話の調子が悪いから見に来てください」と言ってから、もうすぐ三ヶ月が経つというのに。。。
予想通り色々ありますが、ネットが繋がっただけでも大満足。 ・・・と思った矢先、今日の午後から突然断水。。。 幸いすぐに復旧しましたが、またこの断水の恐怖と隣り合わせの生活です。 水は大切。。。
→→7月10日(火)続き 紂王宮の荒廃っぷりに涙がこぼれましたが、気を取り直して、昼過ぎに「俊県」方面の「淇河」という所にある紂王墓(墓参り)へ。 淇県→俊県 バスで30~40分(1.5元)。乗客が増えるまでトロトロと走り続ける。 ◆紂王墓 「淇河」の橋を渡った村でバスを降りました。 歩いて行ける距離ですが、殺人的な暑さだったのでバイクタクシーをつかまえました。 紂王宮は見事に荒廃していましたが、お墓の方は比較的きれいな石碑もあり、なんとかそれなりの形でした。 といっても、雑草だらけの土山がポツンとあるだけですが。。。 まさに栄枯盛衰・・・ですね。 ◆妲己墓 蘇妲己(ソダッキ)=紂王の妃。絶世の美女と言われ、紂王の寵愛を受ける。悪女の代名詞とされている。 妲己墓。ある意味、今回の旅行で一番強烈に印象に残っています。。。 紂王墓のすぐ近くに妲己墓があると聞いたのですが・・・ありません。バイクタクシーの運転手も、紂王墓しか知らない様子。 畑のあぜ道を歩き続けるものの、とうもろこし畑が続くだけで一向に墓らしき小高い山が見える気配はなし。 もと来た道を引き返す途中、何人かの地元の人とすれ違ったので聞いてみても、「知らない」「紂王墓じゃなくて?」「紂王墓ならあるよ」・・・地元人も知らないとは(涙) ようやく高校生らしき男女二人が「もう過ぎたよ」と教えてくれました。 彼らの言葉を信じてそのまま戻って行くと、畑の中に何やら少し土が盛られた場所があったので、もしやと思って入ってみると・・・ ・・・ありました。「蘇妲己之墓」と書かれた倒れかけた石碑が。 目の前を通過したというのに、石碑も墓も、背の高いとうもろこしに隠れてしまい、普通に歩いていたらわかりません。 ←やっと見つけた石碑。 ◆姜王后墓 姜王后=紂王の第一妃。妲己が王室に入ったことでその地位を奪われ、自害するように仕向けられる。 紂王墓と妲己墓の間にあります。 もはや、これは墓ではないような気がするのですが。。。 それでも「姜王后之墓」と書かれた石碑があるので、なんとか認識できました。 それにしても、正妃である姜王后。第二妃であり、自分を自害に追い込んだ妲己と並んで眠っていても大丈夫なのでしょうか(苦笑) ※無料。淇県バスターミナルから「俊県」行きのバス(1.5元)に乗り、「淇河」で降りる。 淇河の手前に紂王墓があり、川沿いに紂王墓→姜王后墓→妲己墓・・・と並んでいる。 夏に行くのはオススメしません。(とうもろこしで視界不良) 汗と日焼けでボロボロになりながら、無事にホテルへ帰還。 昨日に続きまたもや朝からまともにご飯を食べていません。 さすがにお腹も空いてきたので、ホテルの近くをブラブラしていると、清潔そうなレストランを見つけたので、飛び込みました。ここの料理がどれも絶品でした!
<余談> ・淇県は殷の首都「朝歌(チョウカ)」があった場所。「殷都朝歌」「朝歌商場」と書かれた門や、「朝歌路」という通りなどがあるだけで、その面影はほとんど感じられない。。。
7月10日(火) 午前4:20 起床。今日も早起きです。 朝の市内散歩をして、新郷バスターミナルへ。 最初の目的地は淇県にある「牧野の古戦場」。牧野の戦いの舞台は、昨日行った新郷市内にある「牧野」と淇県にある草原と二つの説があるそうです。 新郷→淇県(バスで約1時間。14元。直通はなく、鶴壁行きのバスに乗って途中下車) 淇県は小さな町です。今日はこの町を拠点にします。 ◆云夢山(牧野古戦場) どうやらここに「牧野古戦場」があるようです。 「云夢山」と書かれた小さなワゴン車に乗り込む。私と友達以外は現地のおばさん・おばあさん・おじいさんが8人。河南省の方言で何を話しているのかさっぱり。。。 云夢山はかなり奥まった所にあるので、冬は交通の便が問題かもしれません。 ワゴン車が見晴らしのいい所に止まり、いったん降りましたが、牧野はもう少し上とのこと。時間も惜しかったので、ワゴン車の運転手と付き添いの女性と交渉をして、牧野まで連れて行ってもらい、そのままこのワゴン車で淇県へ帰ることにしました。 さて、肝心な牧野。どうも、目の前に広がる山の中腹の草地がソレらしいのです。 右には石で作られた道教関係の門、左には建設中の謎の建物、草地の向こうにはモンゴルのパオ(観光客の見学用)、下には中華古軍校というのがありますが、どれも殷周革命とは何も関係ないもののようです。 云夢山は景色を楽しむ観光地のようですが、牧野目当てで行く場合はこの草地だけで十分。 新郷の牧野と云雲山の牧野、殷周革命の戦いが行われたのはどちらなのでしょうか。考えるだけでワクワクします。 ←牧野草原(らしい) ※云夢山入場料60元。淇県バスターミナルからバイクタクシーで約30分(6元)。 ◆摘心台 比干が心臓を取られた場所。 比干=殷の宰相、紂王の叔父。紂王に諫言したため、恨みを買った。紂王は「聖人の心臓には7つの穴があるといわれている。聖人ぶった事を言う貴方の心臓にも穴があいているのであろう。調べてやる。」と言って、比干の胸を切り裂いた。(・・・と言われている) 云夢山から淇県に戻るバスで一緒になった女性に「摘心台はどこ?」と聞くと、淇県のターミナルに着いてからバイクタクシーをつかまえてくれました。 町中の公園になっていて、階段を上った高台に「摘出台」という石碑がありました。 あまりの暑さに、友人も私もふらふらとアイスクリームの売店へ。結局コレがお昼ご飯になりました。 ※無料。淇県バスターミナルからバイクタクシーで約5分。 ◆紂王宮 紂王=殷王朝最後の王。牧野の戦いで殷軍は周の武王に破れ、紂王は自害する。 淇県の町中に紂王宮があるとのことなので、三輪バイクタクシーをつかまえて連れて行ってもらいました。 紂王は中国で悪名高い存在ですが、地元ではどのように考えられているのか? 期待に胸を膨らませていたのですが・・・なんとすでに閉館。建物がかろうじて残っているだけの廃墟となっていていて、チョークで申し訳程度に「紂王宮」と書いてありました。。。 記念に廃墟を写真撮影。紂王宮跡の近くの道は「紂王路」という名前がついていました。 ※閉館。淇県バスターミナルからバイクタクシーですぐ。 →→続く <余談> ・有料とは知らず、お金を払わずに淇県バスターミナルのトイレを利用したら、おじさんにこっぴどく怒られた。もちろん謝って払いましたよ(5角)。